SSブログ

大山寺と大神山神社(奥宮)その1 [霊地巡礼/神社仏閣]

 大山南壁 鍵掛峠より
buroguPB068817.jpg

大山 山岳仏教の霊地 古社名刹が山麓に」

上の文は、ぼくが所持している道路マップに記載された大山の紹介文です。当初は、朝一で大山滝を見たら蒜山をを抜けて勝山へ行こうと考えていましたが、この短い文が気になったぼくは予定を1泊追加し、古社名刹の大山寺と大神山神社へ参拝することにしました。

桝水高原から見た大山(実際はもっと赤茶)
buroguPB068828.jpg

その寺社は、大山滝からちょうど反対側に位置するのですが、たまたま時計回りで向かったらこれが大正解。紅葉と初雪に映える大山が色んな角度で次々と現れ、想像以上の雄大な景色を眺めることが出来ました。こんな姿を見せられると、確かにこの山は霊峰だと思わざるをえません。



【大山寺】天台宗別格本山
 2009年11月上旬参拝

     本堂
buroguPB068843.jpg

鳥取県西伯郡大山町大山9

いくつかの峠を越えて、やっとのことで大きな駐車場に到着すると、すでに西日が差し込む時間帯になっていました。これはいかんと、近くの大山情報館で所要時間を聞き、急ぎ大山寺に向かうことに。

長い参道
buroguPB068901.jpg

一直線に伸びる緩やかな坂を登っていくと、立派な山門が見えてきました。ここの参道は、坂であるうえ距離も長いので、早足で歩くと汗がにじみ出てきます。途中、ここのお寺の駐車場があったりして損した気分になりつつ、山門で参拝志納金300円を支払い境内へ。

山門
buroguPB068835.jpg

ここの沿革を書くと長くなるのでネットや書物で調べてほしいのですが、ちょうど本堂の概要が近くにあったので載せてみます。

この建物が大山寺本堂です。
大山寺は、奈良時代金蓮上人が寺を建て、地蔵菩薩を祀り、修験の道場として開いたのが始まりと言われています。その後平安時代になり高僧慈覚大師が教えを広め、天台宗の寺に属しました。江戸時代には、幕府より三千石の寺領をゆるされ隆盛を極めました。現在のこの本堂は、度重なる火災の後、昭和26年に再建されたものです。

以上が、概要です。また、付け加えると戦国期には僧兵700騎の勢力を誇り、明治初期には神仏分離令により、本殿を大神山神社に引き渡した歴史もあったようです。御本尊は現在の本堂(大日堂)に移動しているとのこと。

山門で志納料を支払うとお菓子が付いてくる
buroguPB068837.jpg

そんな経緯があった為か、考えていたほど大きなお寺ではありませんでしたが、昔は三千石の寺領があったとのことですから、相当な規模を誇っていたのではないかと思います。また、比叡山の僧侶のキャリア形成の場でもあったようです。

下山観音堂の前にはキツネさんが座る
buroguPB068838.jpg buroguPB068847.jpg
本堂の他に、下山観音堂、境内には「宝牛」という牛の銅像、階段には日本海を航行していた船がこの杉に灯った光で難を逃れたと伝わる「灯明杉」がありました。その他、急いでいたので見逃したところもあるかもしれません。

灯明杉と灯明地蔵
buroguPB068840.jpg

出羽三山と少し重なるのですが「いにしえ隆盛を極めるが今は静かに脈々と語り継がれる」そんなことが思い浮かぶお寺でした。ちなみに、近くには阿弥陀堂という国の重要文化財がありましたが、時間的に厳しく行きませんでした。
nice!(5)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 5

コメント 2

fuzzy

中国地方随一の霊峰ですね、名刹も場所により訪れる人が少なくなっているようです、景気が悪いのが影響しているのでしょう、いち早い景気回復が望まれます。旅行も「安・近・短」になってしまうと地方は厳しいでしょうね。
by fuzzy (2009-11-25 15:24) 

hamagen

fuzzyさん>
たしかに景気は悪いですね、実感します。やはり旅行でも「安・近・短」を考えてしまいます。熱海、箱根などの有名な観光地はましなんでしょうけど、どうしても置き去りにされる所が出てきてしまいますね。
by hamagen (2009-11-25 19:30) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。