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鬼無里 紅葉伝説を訪ねて その2 鬼無里神社 [霊地巡礼/神社仏閣]

【鬼無里神社】2009年5月下旬

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鎮座地:長野市鬼無里字町274
御祭神:健御名方命(たけみなかたのみこと)
    八坂刀売命(やさかとめみこと) 他

鬼無里神社は、旧鬼無里村の中心地に鎮座し小高い丘の上に建っています。創建はわからないみたいですが、古くから産土神(うぶすなのかみ)を祀る諏訪大明神と称され、明治の頃に現在の社名に改称されたそうです。なるほど、だからタケミナカタをお祀りしているんですねー。

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紅葉伝説との関わりは、平維茂が紅葉退治の祈願をしたくらいしかわかりませんでしたが、坂上田村麻呂がこの神社で蝦夷征伐の祈願をしたことが伝わっているそうです。

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お参り後、ふと社殿を見上げると見事な龍の彫り物が目に入ってきました。いやいや、ほんと見事なんです。鳥居にあった由緒書きによると「湖底が地上に現れて魚山が出現し、その頭部立山に神竜の精を祀って諏訪大明神を招請したものという・・以下略(画像参照)」とあるので、やはり何かしら龍と関係があるみたいです。また、「鬼無里ふるさと資料館」に展示されている祭屋台にも龍が施されているそうですよ。

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広場的な境内には、他に道祖神や小さな神社がお祀りされていました。神楽殿(たぶん)も道を挟んだ反対側に建っています。

後で知ったんですけど、江戸時代に鬼無里を知行していたのは松代藩の真田氏だったみたいで、ここの神社を篤く崇敬していたみたいです。また、武田信玄や大久保長安も社領を寄進したことがあるそうです。

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ところで、なぜ十二神社に長国寺住職作の詞碑があるのだろうと思っていたんですが、やっと理由がわかりました。真田氏つながりだったんですね〜。十二神社の神楽殿の屋根を見た時に、何となく長国寺本堂とイメージがかぶるなぁとは思ったんです。今思えば、十二神社の社紋と六文銭も何となくかぶる気がしますが、、これは考え過ぎかもしれませんzzz..。ちなみに、鬼無里の後は松代を予定してました(時間の都合で今回はパス)。

ぼくは、武田信玄や真田氏が大好きですので、この偶然の一致に驚くとともに、知らず知らずにとはいえ、また一つ縁の地へ行けたことに嬉しさを感じました。

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