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岩船地蔵尊 [霊地巡礼/神社仏閣]

最近、仕事等でバタバタしていまして久々の日記更新です。千葉県の外房までお墓参りに行ってきました。

この日は朝から国道も高速道路も大渋滞していまして、いつもなら2時間半もあれば余裕で着いてしまう距離を四時間ほどかけていすみ市の大原に到着。3連休+アクアライン割引が始まったので多少は覚悟していたんですけど、まさかここまで外房方面が渋滞してるとは思いませんでした。

       岩船地蔵尊にて「ん!寄付したのにオレの名前がない」とのこと
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で、お墓参りをすませて父の実家近くにある岩船地蔵尊という所へ寄りました。海にせり出すように建っていて、とても眺めが良いところです。ここには、いつもこっちに来た時に寄っているんですけど、最近むしょ〜に海の音が聞きたかったので一石二鳥になりました。

             お堂から
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ここのご本尊様(地蔵尊)は、寄木造りの像高33センチメートルの室町期の作らしく町指定の文化財になっているそうです。また、いすみ市商工会のHPによると

「岩船地蔵尊は、昔、『大和国飛鳥の里、春日の宮に安置されていたものを、730年前の第91代御宇多天皇の建治元年(1275)9月、時の中納言藤原兼貞卿が、感ずるところあり、ご本尊および75柱の霊神を奉じ、東国辺土遊航の途中、図らずも台風に遭い、一同船中で一心に尊像を念じたところ、不思議やしばらくして、当浦(当時小千谷村)釣師に漂着し、一漁夫の助力により安らかに上陸することが出来た。朝になり風雨が静まると、船は大きな岩の船と化して海上に浮かび、また尊体安置を示唆する霊岩も同時に出現したので、兼貞卿はその奇瑞(ふしぎなめでたいしるし)に感じて里人と相談し、この地に堂宇を建立した』と伝えられています。
この時から、小千谷村は岩船村と呼ばれるようになり、地蔵尊のご利益顕著なことが広く人々に知られ、あまねく四方に響きわたりました。以来七百有余年、今では海上安全・五穀豊穣・諸願成就の守り本尊として近郷の人々の信仰を集めております。」

とのことです。参考http://www.isuminavi.jp/jizouson/

           お堂から漁港方面を
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すぐ隣に、小さな島があるんですけど陸続きになっているところを初めて見ました。せっかくだから、砂浜に降りて島に直接触ってみようと思ったんですが、まわりが長居したくなさそうだったので諦めました。ちょっと後悔。ちなみに、この島は「すずめ島」と聞きましたがはっきりしません。たしかに、すずめがたくさん居るのを何度か目撃してますが、、たぶん親父が勝手に名付けたんだろうなぁ。もしくは、これが岩船とか?

         その名前がわからぬ島 引き潮だから砂浜が?それとも?
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今度来る時は、一人でゆっくり散策しようと思います。じゃないと、海すらゆっくり見れませーん。関係ないけど、父がここの改修時に寄付をしたらしいのですが石碑に名前が無いと嘆いていました。それは残念だったね〜。というか、今頃確認したのか。。

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